1.はじめに
日本よりもはるかに古い遺跡が豊富なギリシャを訪ねました。
ギリシャは遺跡が豊富なだけでなく、明るい太陽と海にも恵まれています。
今回訪問した場所は、下図のように、アテネに近い遺跡です。

まず、今回訪問した遺跡が造られた時代をざ
っと並べてみます。
BC13 − ミケーネの古代遺跡
BC 9 − デルフィの古代遺跡
BC 6 − コリントスの古代遺跡
BC 5 − アテネのアクロポリス
BC 4 − エピダウロスの古代遺跡
AD15 − メテオラの修道院
コリントス以外は世界遺産(文化遺産、メテ
オラは自然遺産)に登録されています。
2.カタール
飛行機はカタール航空でした。
往復ともカタールで乗り継ぎの時間が6時間ほどありました。深夜に関空を
発ってドーハの空港に着いたのは早朝だったため、カタールに入国しました。
3時間ほど市内見学を楽しみました。主に市場を見学しました。野菜は豊富
でしたが、全て輸入しているとのこと。車は日本車が圧倒的に多いようでし
た。
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さすがは砂漠の国と感じたのは、
駱駝市場でした。
ここでは駱駝は食用として取引され
るようです。1頭が10数万円とい
うことでした。
←建設ラッシュのドーハ
↓駱駝市場
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15年前の1993年10月、「ドーハの悲劇」が起こりました。
サッカーのワールドカップ最終予選の対イラク戦で、終了間際のロスタイム
にゴールを決められて日本勢が涙を飲んだ試合です。
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カタール航空は五つ星と言われる
だけあって、機内サービスが充実し
ていました。(全席禁煙を除けば)
←ドーハの悲劇の競技場
↓砂漠の上空で焼けそうな翼
3.エピダウロス
アテネの南西に延びているのがペロポネソス半島です。
その半島の比較的アテネに近いところにエピダウロスの古代劇場があります。
ギリシャの各地に円形野外劇場が残っていますが、ここの劇場が最も保存状
態がよいそうです。この野外劇場は紀元前4世紀頃に造られたそうです。
かつて、この付近は医療の神が崇拝されていた地区で、浴場、運動場、宿
泊施設などが整えられた、いわば一大医療センターだったようです。
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緑に包まれた劇場は、心身をリフレッ
シュさせるために用意されたのでしょう。
この劇場は音響効果がよく、小さな声も
最上席までよく伝わります。
この劇場は現在もフェスティバルに使
われているそうです。
←近くは松の木、遠くはオリーブの緑
に囲まれた劇場
↓50段もある高い座席
↓収容人員1万5千人
4.ミケーネ
ミケーネと言えば発掘者のシュリーマンが思い浮かびます。
シュリーマンはトロイの遺跡の発見(1873年)に続き、ミケーネの遺跡
も発見(1876年)しています。
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正面の小高い丘の上に遺跡が
あります。
アガメムノンの王城址です。
(高い山はイリアス山)
アガメムノンはトロイ戦争に
勝ったギリシャ軍の総指揮官で
した。
←遺跡の遠景
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坂を上っていくと、大きな石を
積み上げた門があります。門を入
ると間もなく、シュリーマンが最
初に発掘した円形墳墓があります。
←獅子の門
↓円形墳墓
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さらに上ると、「王の間」の址があ
ります。王の間の隣には浴場の址が続い
ています。
←王の間(右手の石垣)付近からの遠望
↓王の間の址(右に浴室址)
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アガメムノンは悲劇の王でした。
ギリシャ神話やホメロスの叙事詩に語られている悲劇とは:
「
...アガメムノンはある女神の怒りを鎮めるため、娘を生贄に捧げまし
た。妻のクリュタメストラはこれを恨み、またアガメムノンがトロイヤの
王女を戦利品として連れ帰ったことにも逆上し、情夫と謀って浴室で王を
殺してしまいました。しかし、成長した息子は、母とその情夫を殺害しま
した...」
ミケーネの最盛期は紀元前17〜13世紀頃で、アガメムノン王は紀元前
13世紀頃の人だったようです。
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昼食の後、土産物店に寄りました。
お店には多数のギリシャ陶器が展示されて
いました。ギリシャ陶器は人物などが黒像
として、または背景に黒が描かれているの
がよく知られている特徴だろうと思います。
陶芸に使うろくろは、紀元前3,000
年も前にギリシャで発明されていたそうで
す。日本でろくろが使われるようになった
のは、渡来人からの伝承でしょうか。
2,000年位昔には、大きな木の葉をろ
くろ代わりに使っていたようです。
←土産物店の展示品
5.コリントス
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コリントス遺跡に近づくと、大きな岩
山が車窓から眼に入りました。
アクロコリントス山です。コリントス遺
跡はその山のふもとにあります。山頂に
は、コリントから時代を下って造られた
要塞が見えます。
←コリントス遺跡付近
アポロン神殿の石柱が静かに立っていました。
かつては38本だったのが、現在残っているのは7本だけです。
↓アポロン神殿
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コリントスは紀元前8〜6世紀に繁栄した商業都市で、アポロン神殿は紀
元前6世紀に造られたそうです。
その後ローマの支配下におかれ、紀元1世紀頃にはローマ風の都市が建設さ
れたようです。ここの遺跡がなぜ世界遺産に指定されていないのか、疑問に
思っていましたが、純粋なギリシャの遺跡ではないということで申請をため
らっているのでしょうか。現地ガイドさんに聞き漏らしました。
←アポロン神殿の遠望
↓ローマ時代の浴場址
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ペロポネソス半島の付け根は皮1枚で繋がっている感じです。
東のエーゲ海と西のコリンティアコス湾は6キロ余りの陸地で隔てられてい
ます。
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イタリアからエーゲ海に抜けるには、ペ
ロポネソス半島をぐるっと回らなければな
りません。
そこで、ローマ皇帝ネロは運河を開通す
るべく、数千人の奴隷を使って開削事業を
始めましたが完成に至りませんでした。
現在のコリントス運河は、1893年に
開通しました。ここは東西の水位差がない
ため、閘門(こうもん)がありません。
←コリントス運河
6.デルフィ
デルフィは、古代ギリシャ人にアポロンの神託が行われた聖域だそうです。
神託(神のお告げ)が始まったのは、紀元前2,500年〜2,000年も
前のようです。
アポロンの神託は卓越した予知能力で知られ、各地からの奉納品で繁栄し
たようです。
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デルフィはアテネの北西180キ
ロほどの位置にあります。
遺跡は標高2,400メートルの
パルナッソス山の麓で、深い谷を前
にした急峻な岩山に残っています。
標高600メートルだそうです。
←遺跡入り口から見上げる(手前
に神殿、糸杉の上の方に競技場)
まず一番上まで上り、順次遺跡を眺めてみることにします。
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遺跡の入り口から標高差100メー
トル位上ると、競技場があります。
長さ178メートル、客席4万人とい
う巨大な競技場が切り立った岩のすぐ
下に横たわっています。
ここではオリンピックと同様の運動
競技が、紀元前6世紀から行われてい
たそうです。
←競技場
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競技場から少し下がると、収容人
員5,000人の野外劇場がありま
す。ここでは文芸、演劇、音楽など
のコンテストも盛んに行われていた
そうです。
←円形の野外劇場
↓野生のクロッカス
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さらに下ると、
↓アポロン神殿址 があります。
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右下前方には
↓練習用競技場址 が見えます
7.メテオラ
アテネの北西400キロ程の位置に、メテオラの修道院群があります。
メテオラとは、「空から吊り下げられた」というような意味だそうです。
修道院が、空に突き刺すように立っている岩の上にあります。
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ギリシャがオスマントルコの支配下に入
り、キリスト教徒が迫害を逃れ15−16
世紀に建てました。
←岩の上の修道院
↓
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20世紀初頭まで、修道院は隔絶された世界にありました。
物資の搬入も、人の出入りも、籠を吊り上げるか、ロープを伝うかして行わ
れました。
←籠を吊った塔
↓ロープの巻き上げ室
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現在は全ての修道院に階段が設けられているようです。
修道僧は簡単に町へ通うこともでき、ふっくらした身体の僧が多くなったそ
うです。
観光化されたメテオラから逃れる修道僧も増えているようです。
8.エーゲ
早朝から夕方までの1日、エーゲ海クルーズを楽しみました。
←アテネ港を後に
↓紺碧の海
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一番驚いたのは海の色でした。
濃い藍を流したような青さです。そして海水が澄んでいたことです。
エーゲ海は琵琶湖よりも広いとはいえ、閉ざされた海だから水質が落ちてい
るはずだ、と想像していました。しかし、今回上陸した3つの島と初日に泊
まったホテル近くの海を眺めたところ、びっくりするほど澄んでいました。
←イードラ島
↓ポロス島
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最後に上陸したのはアテネに近いエギーナ島です。
この島は、かつて一時期ギリシャの首都だったことがあるそうです。
ピスタチオの名産地です。
松林の丘の上にアフェア神殿がありました。沢山の柱が残っていますが、
柱は大理石ではなく、地元で採れる石灰石に化粧漆喰を塗って大理石のよう
に見せているそうです。
紀元前5世紀に、サラミスの海戦でペルシャ軍を打ち破ったサラミス島が
遠くに見えました。
←アフェア神殿
↓サラミス島
9.アクロポリス
アテネ市街地の一角にアクロポリスの丘があります。
紀元前5世紀に、この丘の上にパルテノン神殿が築かれました。
←ライトアップされた神殿
↓丘の麓の野外劇場
←堅固な岩のアクロポリス
パルテノン神殿は第二次世界大戦の時に破壊さ
れたのだそうです。
↓修復中のパルテノン神殿
↓大理石の列柱
10.おわりに
ギリシャ語でギリシャとはどう言うのでしょうか?
Ελληνικ?(エリニキ)だそうです。(?は表示できないフォント)
ギリシャ語はヨーロッパのどの国語とも異なり、使われている国はギリシャ
(とキプロス)だけのようです。
日本語が日本独自の言語である点と似ています。
エーゲ海クルーズの船中で、ロンドンに住んでいる家族に会いました。
ご主人はギリシャ人で、定年退職の記念旅行として母国を回っている、との
ことでした。その人は日本の文化に興味をもっており、特に俳句については
かなり勉強している様子でした。
ソクラテスが高名な悪妻と生活したのは紀元前5世紀でした。
今回訪ねた遺跡の多くは、ソクラテスが生まれる以前に繁栄した都市でした。
ソクラテスの悩みが今日にまで伝えられているということは、その時代のギ
リシャの文化や技術がいかに高度に発達していたかを物語っているといえま
しょう。現代の、コンピュータに支えられている活字と映像の文化は、後世
にまで伝承されるのでしょうか。
「ギリシャは農業国です」と現地ガイドさんが説明してくれました。
しかし、今回巡った遺跡の周囲はどこもオリーブで囲まれており、ギリシャ
はオリーブだけ生産しているのだ、というのが最初の印象でした。
メテオラに向かうときに広い平野を走りました。ここで各種の農作物が生
産されていることが分かりました。
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そこで農水省の統計を確認したところ、
(2002年の)国内総生産額に占める
農業生産額の割合(6.7%)や農業就
業者の割合(15.7%)は、EUの中
(15カ国)で最も高い水準にある一方、
平均経営面積(4.4ha)は最も小さ
いそうです。
←内陸部の平野
ギリシャで意外だったのは、トイレ事情がよくないことでした。
下水事情が悪いため、トイレットペーパーを流さないように、という注意書
きを見かけました。ローマ時代以前からの下水処理技術は、現代には活かさ
れていないようです。もしかしたら、便器の構造にも関係しているかも知れ
ないと思い、日本の代表的なメーカーT社に輸出の状況を問い合わせてみま
した。バリ島ではどこでもT社の製品を見かけたことがあるからです。T社
は、来年(2009年)から欧州での事業を本格的に立ち上げる、というこ
とでした。
(散策:2008年10月18〜10月25日)
(脱稿:2008年11月26日)
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